事前の情報で、内部に入れるかもしれないと言うことを聞いていたので、期待大である。

海岸から東京湾海上交通センターに向かい軍道を登っていくと、砲台跡の横に掩蔽部を発見。
草をかき分けコンクリートで塞がれた隙間から中を撮影してみると…。

おおーっ超きれい!!
内部はフランス積みの煉瓦で巻かれており、奥の方には部屋みたいのが見えている。

奥部分を拡大してみると、これはすごい。
とてつもなく入りたいけど、手持ちの資料によると掩蔽部入り口はここしかないようなので進入は無理っぽい。
奥がどうなっているのか知りたいなあ…。

これは、現在の北門第二砲台付近の地図に、当時の砲台付近の地図を重ねたもの。
黄色に塗った部分が6門並んだ砲台。
一番左側(北側)の砲台の掩蔽部が前出の写真のものだ。
分かりにくいとは思うが、砲台ごとに掩蔽部が構築されているのが記載されている。
一番右側(南側)の砲台のすぐ横にはトンネルが掘られており、砲台横の掩蔽部からトンネル内部に通路がつながっている(青く塗った部分)。
右側の観音崎公園の文字の所にあるのは観音崎第三砲台。
また、残念ながら一部の砲台は破壊され、東京湾海上交通センターとなってしまった。

トンネルすぐ脇にある一番右側(南側)の砲台跡。

早速掩蔽部へ入ってみる。
入るのにはちょっとコツがいるが、成人男性の体力があれば地上に戻ってこられると思う。
ただ、進入口付近は巨大なカエルやらなにやらたくさんいるので踏まないように注意が必要だ。

つきあたり左側にあった部屋。
奥の壁には大きな穴が開いている。

穴は上方へと伸びているが、どこに通じているかは不明。
鉄パイプが穴の中心に上り棒のように設置されていた。

すぐ隣にも同じような作りの部屋がある。
こちらも同様に壁に穴が開いていた。

入ってきた通路を 90度右に折れると、トンネル内部へと通じる通路がある。

現役当時の物と思われる電気設備が残されていた。
電球は割れてしまっているが、これも当時の物ではないだろうか。

トンネルと通路の間はこのように塞がれてしまっている。

塞がれてしまった部分をトンネル内部から見るとこんな感じ。

掩蔽部から出て、今度はトンネル内部へと行ってみる。
このトンネル内部には、先ほどの掩蔽部通路との閉塞部以外にもいくつかの遺構が残されている。
トンネル上部は素堀で、落石防止ネットが巻かれていた。

出入り口は塞がれているが、この意味不明な塞ぎ方は何か意味があるのだろうか?
まるで夜間金庫のようにも見える。

壁面に据え付けられたブレーカーボックス。
当然通電はしていないが、いい感じに朽ち果てていた。

塞がれた掩蔽部の中を撮影してみたのがこの写真。
煉瓦の上に塗られた漆喰がきれいに残っている。
奥の方に波板のような物が写っているが、これは昭和になってからの遺構であろう。
頑張れば内部への進入は可能だが、ここまで見えているので、実際に入っても新しい発見は無さそうである。

トンネル内部より砲台方向を写したもの。
右側に写っている物と同じような掩蔽部入り口がもう1箇所存在していた。

ちなみにこのトンネルは、画面左側に写っている、トンネル側面に備え付けられたスイッチを押すことにより、およそ3分間照明が点灯する。
また、トンネル内部は落盤の危険がありますので関係者以外は……。

ん?
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