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[戦跡] 横浜の称名寺裏手にある地下壕に潜って来た  2021-03-18

横浜にある称名寺付近の山中に、部屋がたくさんある地下壕があるとの情報を頂いたので、早速潜りに行ってみた。


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某日早朝、付近の駐車場に到着すると、既に yakumo氏の車が停まっていた。




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お寺の境内で待ち合わせた情報提供者の S氏と yakumo氏の3人で、早速現地へと向かう。
ちょっとした藪を抜けると、すぐにいくつかの壕口が現れた。
全て鉄板で塞がれているが、進入は容易そうだ。
その一つから早速内部へと進入。




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内部は本当に丁寧に掘りこまれている。
この近くの 六浦にある地下軍需工場 の掘り込みを彷彿とさせる作りこみの良さだ。




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30cm程の段差を登り、奥へと進んでいく。




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段差を登った場所からの振り返り。
天井付近には窪みが掘られている。




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早くも分岐点が見えてきた。
単純な構造の壕じゃ無さそうなので期待が膨らむ。




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まずは右手から回ってみよう。




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坑道に沿って、小部屋のようなものがいくつも作られている。
その奥に、塞がれた壕口を発見。
外から見たときに、鉄板が置かれたいくつかの壕口が見えていたが、そのうちの一つだろう。
同じように塞がれた壕口は、他にも何か所か見られた。




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坑道左手の小部屋に入ってみる。
丁寧に角を出して掘りこまれている。
岩盤が安定しているのか、崩落は全く見られない。
しかも、この作りの良さは、終戦間近の急造では無いと思われる。




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奥から入ってきた方向を向いて撮影。
入口部分には段差が設けられている。




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部屋を出て、坑道を進んでいく。




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坑道左手には、このような部屋がいくつも掘られていた。




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同じような部屋を見つつ、メインの坑道を奥へと進んでいく。
奥には鉄製のキャビネットの残骸が転がっていた。
もちろん戦後の物だろうが、わざわざこんなところに持ち込んだのだろうか。




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右手の小部屋にも入ってみる。




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奥には段差が残されている。
ここは掘りかけなのだろうか。




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部屋の入り口付近の壁の下側が抜け落ちている。





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小部屋の天井部分には、電球ソケットを固定する木片が残されていた。
部屋にまで電気を引いて明かりを灯していたとは驚きである。
この壕は単なる倉庫では無く、何か重要な位置づけを持っていたのかもしれない。




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小部屋を出て最奥部へと向かう。
そこには何とも珍しい掘り込みが。
貝山地下壕上部に、四角い掘り込みが並んでいる壕があるが、同じ用途なのだろうか。




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メインの坑道の上部には、電気配線用の碍子を固定する木片が残されていた。




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ちなみにこの地下壕、やみくもに通路や部屋が広がっているわけではなく、基本的にはこの大きな坑道を核として地下壕が作られている。
碁盤の目にもなっていないし、まるで、地上にある旅館のような部屋の並びだ。




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今度は入口から見て左手の方向へと進んでみる。




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この部屋の側面には木材を差し込んでおくような穴が多数見られた。
ここには棚を設置していたのかもしれない。




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また、この部屋の側面には1m置きに線が引かれており、1,2,3、4~ と数字も書かれていた。
地下壕の内部調査が入った跡なのかなとも思ったが、部屋の両側ともに書かれているので、違いそうだ。
いたずら書きのようには見えなかったし、当時からの物なのかも知れない。




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この壕で唯一大きめの崩落が見られたこの部屋。
柱表面の岩盤が、地層に沿って剥がれているようで、床面には瓦礫が散乱していた。




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この部屋は、ほかの部屋のように角ばった形状ではなく、壁に凹みが付けられたりと、ちょっっと変わった造りで、入り口付近には、掘り込みもあった。
ここには木枠が嵌め込まれ、扉を据え付けてあったのかも知れない。




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と言うことで、似たような部屋は割愛したが、他にもいくつもの部屋が存在した。
広さ的にはそれほど大規模というわけではないが、非常に丁寧に掘ってあるためか、なかなか楽しめる壕であった。
ちなみに、この壕は山の向こう側に抜けているわけでもない。
この山の規模からすると、ちょっと小さすぎるのだ。




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と言うことは、まだまだ探せば他の壕も見つかるのではないか!?
だんだんと酷くなる藪を、ガサゴソとかき分け、各自山肌を調べ進んでいく。




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すると、やっぱりあった壕口!!




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内部は先ほどの壕に比べると狭い感じだ。




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期待しながら奥へと進んでいく。




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しかし残念ながら、角を曲がるとこの壕は数メートルで閉塞していた。




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壕を出ると、yakumo氏からも、壕口発見の連絡が入った。
早速、ガサゴソとそちらの方向へ進んでいくと、ほとんど埋まりかけているが、壕口が開口している。
壕口前には荷物が置かれているので、もう既に中に入っているのだろう。

荷物を持ったままだと、ちょっと入れそうもないので、自分も装備を下ろし、狭い壕口へ体を滑らせる。




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しかしこちらの壕も数十メートルで閉塞していた。
位置的には先ほど見つけた掘りかけの壕と繋がりそうな感じだったので、この壕も掘りかけなのだろう。




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その後も、ガサゴソと山肌を伝い壕口を探していく。




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しかし、谷戸の奥まで行ってみたが、この周辺では他に壕口は発見できなかった。
今回は、他に予定があったため、山の裏側や、周辺の他の山は見に行っていない。
しかし、史料によると、このお寺自体が戦時中は旧軍に接収されていたと言う事だし、すぐ隣は小柴貯油施設なので、きっと他にも何かあるはず!!!

と言うことで、ここはいずれまた、調べに来ようと思っている。


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