
入り口は、生垣や土砂により良く見えなくなっていたが、内部に進入してみるとかなりの規模の壕だ。
内部はごみも無く、めちゃめちゃきれいだ。
早速、奥へと進んでいくことに。

奥へと進んでいくと、左手に横坑が。
小さく見えるが、これでも高さは2m程度はある。
この横坑は、先ほど見た隣の壕に繋がっているのだろう。
入ってみると、予想通り、先ほどの水没している大きな壕の最奥部へと続いていた。

どんどんと奥へと進んでいく。
しかし、かなりの規模だ。
これだけ大きい壕なのに、枝坑が存在するのがたまらん ( *´艸`)

今度は右手に横坑が。
これは楽しみだ。
でもまずはこの壕の最奥部を見に行こう。

やがて、閉塞点が見えてきた。
崩落した巨大な岩が転がっている。

あの辺りから落ちてきたのだろう。
でも、戦後七十余年を経てもこれだけの崩落で済んでいるのだから、案外地盤は良いのかも知れない

最奥部まで進み、壕口方面に向きを変える。
これだけの規模の地下壕がこんな良い状態で残されているのはすごい。
明るく見える壕内だが、懐中電灯を消すと・・・。

壕口は確認できるが、内部にはほとんど光は届かない。

最奥部を確認したので、いよいよ横坑へと潜っていくことに。
入ってきた時に右側に見えていた横坑へと入る。

横幅、高さ共に 2mくらいかな。
多少ガレているものの、ごみも無くきれいな状態だ。

どんどん進んでいくと、やがて大きな壕に出た。

でも、正面を向くと、まだ横坑は続いている。
先に横坑を行けるところまで行ってみよう。

海側から光が差し込んでいるようだ。

先ほどまでの壕より多少は径が小さいようだが、ここも立派な壕だ。
外の地形の関係か、随分と壕口に近いところに出てきたようだ。

この壕の奥を見ると、この横坑よりかなり奥まで掘られていることが分かる。

ちなみにこの横坑が、今自分が出てきた横坑だ。
これ以上行く場所はないので、この穴へと戻っていく。

隣の大きな壕と横坑の接合部。
出てきた時には気にならなっ方が、戻りで見ると、随分と土砂がある。
ふと、壕口方面を向くと、側面にまた巨大な横坑の様なものが見えていた。

しかし、近づいてみると、こちらは横坑ではなく、壕内の一部を拡張してあるだけのようだ。

でも、何となくまだ奥に掘ろうとしているような痕跡があるような気もするが、これは何とも言えないかな。

この壕の壕口は、なんだか妙にきれいだったので、ここから外へと出ていくことにした。

壕を出ると、何かの碑が・・・。

わお!
この壕は、きちんと保存 (?) されていたのか。
ちなみに、当時これらの壕を掘った有志の方々が協力して、碑を建てているようだ。

碑文を読むと、藤澤海軍航空隊により、特攻基地の建設がなされたと書かれていた。

巨大壕を後にして崖沿いを見て回るが、これ以降はこのような小規模な壕はたくさんあるものの、先ほどの壕のように大きいものは見つからなかった。

遊歩道は海沿いに続いているが、崖沿いの道は施設の中へと続いている。
地図を見ると、遊歩道をショートカットしている道のようだ。
釣り人や、散歩をしている人が普通に通り抜けているので、自分もそのまま進んで行った。
ちなみに、1975年の航空写真を見ると、この道が海岸線になっている。
この道の右手側は、下田浄化センター建設の際に埋め立てられたのだろう。

崖沿いには、相変わらず、小規模な壕が散見された。

時刻も夕刻に近づいてきたので、そろそろ自宅に戻り始めることに。

この後は、まだまだ運転したかったので、国道136号から西伊豆へ。
その後、三島を経由して国道246号を走り、横浜まで戻りました。
今回の走行は、高速道路 (西湘バイパス) 18Km、一般道 387Kmの、計 405Kmでした。
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