昭和 12年に創業したこの会社だが、戦時中に疎開工場として、隣接する山中に地下軍需工場を建設したと言うので、その痕跡を見に行ってみた。

住宅街の片隅にある擁壁の裏手には、今でも壕口が口を開けていた。
早速、内部へと進んでみる。

壕口付近には、結構な量のゴミが放り込まれている。
年代的には昭和後期の物が多そうだ。

奥へと進んで行くと、掘りかけの坑道が。
この地下壕は完成を待たずに終戦に至ったようで、実際に工場としては稼働していないと言うことだ。

くるぶし程度の水没坑道をじゃぶじゃぶと進んでいく。

壕口から離れると、壕内のゴミはだんだんと少なくなってきた。

工場らしい、真っすぐな坑道が続く。

この坑道も、最奥部は掘りかけで終わっていた。
二段掘りの跡がはっきりと残っている。

今度は別の坑道を進んでみる。
壁面には染み出た石灰が鍾乳石を作っている。

坑道の両脇には、しっかりした排水溝が作られている。

その排水溝の先には、一段低くなった坑道が。

階段が作られている。
本来、外に排水されるはずの水が、排水されずに貯まってしまっている。

ウェーダーを装備しているので、水没している坑道へと進んでいく。

水深は膝上程度か。
壕床にはゴロゴロした石が転がっており、気を付けて進まないと転んでしまいそうだ。

水没の先に壕口が開いているのが見える。

この壕口は山中に開口しているためか、ゴミが少ない。

再び、水没坑道へと進み、壕の奥を見に行く。

坑道の上部に穴がある、変な場所に突き当たった。
水流に押し流されてきたのか、発泡スチロールやタイヤが流れ着いている。

両側から掘り進んだ接続場所かなとも思ったのだが、階段のようなものが作られている。
でも、かなり荒い作りなので、接続工事中なだけなのかも知れない。

奥にはまだ坑道が続いている。
かなり規模が大きい工場になる予定だったのだろう。

同じような坑道が並んでいるので、面白みには欠ける。

坑道のかなり奥の方に、電信柱のような物が廃棄されていた。
人間の力で簡単に運べるものでもないのし、どうやってここまで持ってきたのだろう。

この坑道も、排水溝がしっかりと作られている。

別の坑道の奥には、かなり古そうな自転車が。
昭和30年代くらいの物かと思われる。

一通り、全部の坑道を回ったので、そろそろ戻り始める。

単純な構造の地下工場だったが、なかなか楽しめた。

まだお昼を過ぎたところで、もう少し時間があったので、トレッサ横浜の近くにある獅子ヶ谷市民の森に行ってみる事に。

この公園周辺には穴がたくさん開いているというので、見に来たのだ。

崩れてしまい入れない壕口も多いのだが、口を開けている物もある。
用途は倉庫と思われるが、かなり大きい穴もある。

最深部は丁寧に処理されているので、掘りかけではなくて、この形で完成なのだろう。

壕口付近には巨大な岩石が落ちている。
こんなのが落ちてきたらひとたまりもないな・・・。

掘削当時は同じような壕が並んでいたものと推測されるが、ここは埋まってしまっているようだ。

山を越え、反対側の住宅街へと進んでみる。

道路脇に、コンクリートブロックで塞がれた小規模な穴が。
民間の防空壕かな!?

池の脇にドラえもん的な石の作品が落ちている。

他にも、石にペイントした作品が。
て言うか、これ、完成度高すぎでしょ!

斜面の上の方に、何やら穴のようなものが見えているので行ってみる。

急峻な斜面に難儀しながら登っていく。
足場も悪く、結構大変だ。

斜面に開いた穴はかなり大きいものだった。
この斜面の反対側の斜面に、コンクリートで塞がれた壕口らしきものがあったので、もしかしたらその場所と貫通させようとしていたのかも知れない。

と言うことで、近所の穴をちょっと回って来ただけだったが、横浜市の内陸部にもいろいろな穴があることが分かってきた。
今後は、この周辺もまた調べに行ってみようかと思っている。
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