しかし、花立新砲台は防衛大学敷地の外れにあり、勝手には見ることが出来ないらしい。

事前の現地周辺調査により場所は把握している。
ちなみに、左の赤丸が観測所跡で、右の赤丸が砲台跡である。
敷地南側(地図の下側)は住宅地に面しているが、こちらからの進入(黄色矢印)はかなりの急斜面を登らなくてはならず、しかも斜面の上には一面に柵が張り巡らされており、現実的ではない。
なにより、柵越えは完全な不法侵入だ。
そこで、観音崎公園内にある遊歩道に目をつけた(青いライン)。

同じ位置の地図であるが、緑色に塗った遊歩道から防衛大学の敷地内に道が描かれている。
当然柵により封鎖されているだろうが、遊歩道から山中に迷い込んでしまい、偶然頂上に辿り着いたらこれは合法では!?

早速観音崎公園内に入り、遊歩道を歩いていく。
向こうに見えている山の頂上が広大な平場となっており、そこに砲台跡があるはずだ。

登っている途中の写真が無くて申し訳ないのだが、あたりをつけた場所から斜面を上りきると、この場所へとたどり着いた。
かなりの急斜面であったが枝に掴まりながら上へ上へと登って来たのだ。
はたしてここはどこなんだろう。
敷地内?
敷地外?
とりあえず、どんどんと道を進んでいく。

WindowsMobile端末のGPS地図で確認してみると、先ほどの地図の太い道の上にいるようだ。
GoogleMapの地図上では車も通れるかのような随分と立派な道が描かれているが、実際は踏み跡だけの道だった。
まあ、藪漕ぎに比べたら、踏み跡さえあればここを進むのは超楽勝である。
ただ、砲台はこの道の右方向と思われるので、この道を逸れなくてはならない。
しかし右側はどこまでも激藪が続いている。
どこかで藪に入らなくてはならないので、一番マシそうな藪に頭から突っ込んでいった。

くもの巣だらけになりながら藪を抜けると突然視界が開けた。
前方には砲座が見えている。

頂上は隠れようがないほどの平場となっていたので、普通に探索を開始した。
砲座中央部分には何本もの太いボルトが残っている。
奥の方には観測所が見えていた。

観測所の前に来た。
思っていたよりもずっと保存状態は良さそうだ。

測遠機を設置していたと思われる部屋から進入。
内部は建物以外の全ての物が撤去され、ガランとしている。

そこから上へと上がると、広範囲を監視できる横長の開口部がある部屋だ。

そのまま後ろへ下がって撮影。
あまりにステキなデザインにテンションは上がりまくり。
この遺構は絶対に後世へと残して欲しい。
つーか建物ごと俺が貰い受けたい!
ホント、防衛大学さん、お願いします!!

この階から更に上に上がる階段を発見。
建物の前から見るとこの階は2階だが、建物自体が斜面に建てられている為、建物の裏から見るとここは1階だ。

3階部分に上がると、2階部分同様に海上を監視できる窓が切られていた。
先ほどの丸い形とは違い、今度は四角で構築されている。
これはこれでまた良いデザイン!

階段横の壁面には大きな穴が開いており、測遠機室が見下ろせるようになっているようだ。

実際に窓の近くに寄ってみると、遥か彼方まで洋上を見渡すことが出来た。
遠くに東京湾を行き来する船舶が見えている。

再び2階部分へと降りていく。

外との開口部が多いため、随所より光が差し込み、夕方とはいえ薄暗さは感じられない。
コンクリートもしっかりしており、このままでも何かに利用できそうな感じ。

測遠機室を上部から望む。
中央の石柱は測遠機を設置していた台座であろうか。
砲台の観測所等で使用されていた測遠機は、使用の都度台座に備え付けていたそうだが、この規模の観測所でも、同様の運用だったのだろうか?

観測所の裏手に回ってみると、現役稼動していそうな監視カメラが設置されているのが見える。
監視カメラの雲台は電動式では無くネジでの固定式。カメラの方向は住宅地方向の平場に向けられていた。
一体何を監視しているんだ?

この遺構が後世まで残りつづけることを願いつつ、観測所を後にした。
ばいばいまたね。
また見に来るよ!
それまで壊されんなよっ!

帰り道は再びこの藪の中へ突入し…。

この斜面を
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