
壕口を目指し、谷を進んで行く。

真夏の探索ではあるが、藪は少なく比較的容易に壕口に近づくことが出来た。
では早速、内部へと・・・。

内部に入るとすぐに道が左右に分かれている。
前方へも少し掘られているがすぐに行き止まりだ。

右手も小さな掘り込みのみですぐに行き止まりだ。

左手には坑道が続いている。
入り口に近いこの場所自体も、壕内が拡張されておりちょっとした部屋のようになっていた。

それでは、奥へと進んで行こう。
坑道は右手に折れている。
奥の掘り込みは爆風除けだろうか。

馬蹄形に掘られた坑道を進んで行く。

坑道の脇に部屋が作られている。
部屋の奥から通路方向を見ると、とてもきれいに構築されているのが分かる。

部屋から出て、更に奥へと進んで行く。
やがて、足元が水没し始めた。

水没しているものの、長靴で十分進んで行ける状態だ。

突き当りの分岐は、右手はすぐに行き止まりだった。
左手にはまだまだ坑道が続いているので、どんどんと奥へと進んでみる。

じゃぶじゃぶと進んで行くと、今度は坑道が左手に折れている。

左手に折れるとすぐに、直進と右手へと再び分岐が。
まずは真っすぐ行ってみよう。

右手に進むと、かなり奥まで坑道が伸びている。
陣地系の地下壕だと思うのだが、陣地系でこんなに直線が長い壕は久しぶりだ。

似たような分岐が何度も出てくる。

そして坑道を進んで行くと・・・。

その先は土砂の流入により閉塞していた。

懐中電灯を消してみると、わずかに光が差し込んでいるようだ。

これ以上進めなくなったので、先ほどの分岐まで戻り、別の枝坑を進んで行く。

しかし、長い坑道だ。

右手に分岐があったので、今度はこちらに進んでみることに。

このあたりはちょっと荒れている感じだ。
でも、崩落と言う感じではなく、坑道の拡張途中という雰囲気だ。

突き当りを右に折れ、進んで行く。

二段掘り!?
なんだか、変な断面の坑道が続く。

こちらは行き止まりか。

また分岐だ。
もう、迷いそう (^^;

回っていない坑道を次々と回っていく。

この辺りはちょっと複雑な構造のようだ。

この壕の壕床はとてもきれいで、崩落はほとんど見られない。
地質がかなり良いのだろう。

壁にある鑿の痕跡に交じって、矢印が掘られている。
その矢印の方向に進んでみると・・・。

奥の床面に何やら掘り込みが。
深さと大きさは丁度お風呂のバスタブ位だ。
用途は分からないがあまり見ない構造だ。

足元がちょっと荒れてきた。

外部から土砂が流れ込んだのかなとも思ったが、そうではなさそうだ。

坑道の脇にはいくつかの枝坑があったがどれも短いものだった。

この坑道は山の反対側まで行きそうだ。

何度か折れ曲がりながら進んで行くと、やがて前方に坑口が見えてきた。
かなり大きく開口しているようだ。

壕口付近の壁面にはたくさんの落書きが。
いつの時代の物なのだろう。
壕口の外は草木が生い茂り場所は全く分からないが、山の反対側に抜けて来ているようだった。

壕口部分から内部を見る。
かなり丁寧に掘られているのが分かる。

再び壕内へと戻り、行っていない通路へと進んでいく。

ちょっと角度をつけてある。

壕床はガレているが、まっすぐな坑道が伸びている。

ウロウロしながら進んでいくと・・・。

通路の奥の方で yakumo氏が何やら見つけたようだ。

銘板付きの謎の遺物。
サイト・マーカーとか書かれているが何なのだろう。

この空間には砂が貯まっているが、どうやらここは砲室のようだ。
銃眼のような掘り込みと、三角形に掘られた部屋から yakumo氏がそう推理していた。

砲室らしき空間からは、2方向に通路が伸びている。

更に先の方を見に行ってみる。

ずりが残されている。
この辺りはまだ掘りかけだったのかな!?

もしかしたら、坑道を拡張して部屋にしようとしているのかもしれない。

坑道をどんどんと進んでいく。
陣地ではあまり見る事の無い、まっすぐな長い坑道だ。

右手に小さな部屋があり、その先は急激な上り坂となっている。
とりあえず、登ってみよう。

壕床は砂でフカフカしており足を取られて歩きにくい。
そして、かなりの上り坂だ。
ほとんど四つん這いになりながら登っていく。
これは山頂への抜け穴か!?

大変な思いをしながら登っていくと、最後はまさかの閉塞だった。
突き当りは面の処理がされているので、掘りかけでは無くこれで完成なのだろう。
かなりの急坂だし、狭い通路だし、用途が全く分からない。
面にある落書きらしき掘り込みは、後世の進入者によるものかな。

と言うことで、一通りすべての坑道を回ったので、壕を出ることに。
1時間半程度かけて内部を回ってみたが、鎌倉エリアでここまで大きい壕があるとは思っていなかったので、かなり満足できた探索だった。

内部を回りながら何となくの壕内図を描いてみたが、方向や長さは完全に感覚的なものなので、あまり参考にはならないが、おおむねこんな感じの壕内だった。
ちなみに、この壕と隣接する谷にももう一つの壕口を発見しており、貴三郎氏の先行調査ではここもかなりの規模があることが分かった。
かなりの水没もあるようだが、こちらの壕も紹介していきたい。 ← 探索待ち
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