現在は1本のトンネルに置き換わっているが、現役当時は風光明媚な観光道路だったという。

いつものごとく、金曜日の仕事が終わり横浜を出発。
松本を経由し、道の駅風穴の里にて車中泊。
翌朝は、めちゃめちゃ良い天気。
横浜はまだまだ暑い日が続いていたが、ここは別世界のように涼しい。

平湯を越え、国道158号で高山市内へ。
そこから九頭竜ダムを経て福井市内へと向かう。
横浜から500Km、12時間の行程だ。

九頭竜ダムから福井市内へ向かう国道158号には変な看板がある。
今回この道を選んだのはこの看板を見たかったというのもある。

その看板がこれ。
日本全国に〇〇の地というものは数多くあると思うが、死亡事故多発の地というのは珍しい。

いろいろと寄り道しながら、やっと日本海側に到着。
急がないと日が暮れてしまいそうだ。

国道305号の玉川トンネル脇に車を停め、廃道区間の入り口を見に行ってみる。
何やら、玉川洞窟観音と言うのがある。

国道305号の旧道上を歩いていく。
玉川洞窟観音のために整備されているようだ。
まるでトンネルのようなものが見えているが、これが玉川洞窟観音なのだろう。

洞窟観音の横には、旧道が続いているが、かなり荒れているし、現道からの視線もある。
ここから入っていくのはちょっと目立ちすぎるな・・・。

せっかくなんで、玉川洞窟観音の中も見ていくことに。
というのも、この洞窟観音の作りに違和感を覚えたのだ。
だって、この坑門の装飾が、道路トンネルの装飾にそっくりじゃないか。

内部へと進んでみる。
坑道が奥へと続いている。

そして、奥は広くなっており、お社が安置されていた。

内部の構造を見てみると、どう見ても道路トンネルの構造だ。
廃道区間にあった玉川洞窟観音が、この区間の廃道化によってアクセスできなくなったために、代替施設としてここが作られたのではないだろうか。
あくまで道路廃止による救済措置なので、道路管理者(ここの場合は国)が作ったため、このような構造になったのではないかな。
ま、想像だけど。
もしかしたら、現道の玉川トンネルの施工者が、この洞窟観音を作ったのかも知れない。
なんだか、坑門デザインも似ているし・・・・。

とりあえず、ここは人目もあり目立つので、現道トンネルの反対側から進入を試みることに。

玉川トンネルを抜けた先に車を停め、自転車でトンネル南口へとやってきた。
旧道は柵で塞がれているが、塞ぎ方を見ると廃道という感じでもない。

自転車を漕ぎ、どんどん進んでいく。
路盤上は妙にきれいで、今でも使われているのは間違いない。

道路脇には巨大なコンクリートの構造物が置かれていた。
なんだろうこれは。

まだ新しい感じのロックシェッドへ入っていく。
脇にはたくさんのフレコンバッグが積まれている。

ロックシェッドを進んでいくと、素掘りのトンネルが見えてきた。
近代的なロックシェッドの奥に、このようなトンネルがある構造に興奮してしまう。

普通車の離合はちょっと厳しそうなので、トンネルの両側に車両が来た際はどちらかの車がトンネルの手前で待っていたのだろう。

ロックシェッドから海側を見てみると、夕刻迫る日本海が広がっていた。
当時、離合の為にここに停車したドライバーも、同じ景色を見ていたのかな。

柱の下には、反射板の無くなってしまったデリニエータがひとつだけ残されていた。

素掘りのトンネルを通り抜けていく。
岩盤は固そうで、崩落は全くない。
と言っても、今でも整備されているようなので、片付けられているだけかもしれない。

素掘りのトンネルを抜けると、再びロックシェッドが続いている。

金属が赤さびているが、それがまたいい味を出している。

この辺りの雰囲気も抜群に良かった。

写真の上手い人が撮ったら、ものすごく良い写真が取れそうな感じ。
最近は探索時でもほとんど携帯電話での写真しか撮らなくなってしまったが、もっとちゃんとしたカメラを持ってくればよかったな・・・。

ロックシェッドを抜けると、久しぶりに上部が開けた区間が現れた。
この部分は入り江になっているようで、橋を渡しているような構造だ。

その区間の先には再び短いロックシェッドがあったのだが、そこには『玉川洞窟観音』の案内板が。

その案内板から道路の下をのぞき込むと、なにやら古そうな階段が見えている。

階段の先、入り江の奥に目を向けると、そこには洞窟のような裂け目が。
なるほど、ここが本来の玉川洞窟観音のようだ。
時刻はもう午後5時を回っている。
もちろん洞窟の中も探索するつもりだが、日が暮れてしまう前に先に廃道区間を見に行くことに。
洞窟の中は昼でも夜でもどっちみち暗いから、後回しでも構わないでしょ(*'ω'*)

たくさん写真を撮りながら進んでいく。

すると見事な切通しが。

そして、その先に何か見えてきた。
え!?
家がある!?

屋根だけ見て家かと思ったが、近づいてみたら家では無くて、玉川環境整備センターと言う施設だった。

旧道の路盤をそのまま進んでいくと、突然道が無くなった。
掛けられていただろう橋は落ちてしまったのか撤去されてしまったのか無くなっている。
山肌を伝ってあの場所に行けないこともないが、時期的に藪も多く大変そうだ。

角度を変えて見てみると、ロックシェッドが崩落している。
かなりの大崩落だ。
そして、このロックシェッドの向こう側の土砂が貯まっている場所が、玉川岩盤崩落事故現場だ。
平成元年に起きたこの事故は、一瞬にして15名の命を奪ってしまった。

玉川環境整備センターの海側には突き出た岩山があり、鳥居と祠が見えていたので登ってみた。

頂上からは、今通ってきた道が一望できた。

何というところに道を通したのだろう。
大崩や、親不知に匹敵するくらい険しい道だ。

崩落現場方面を見ると、こちらもかなりの険しさ。
というか、現在進行形で崩壊が進んでいるようだ。
こちら側の探索もしてみたいが、今回は時間の関係もあり、もう少し冬枯れしてから再訪することにした。

日中は汗が噴き出るほどに暑かったが、日没も迫り辺りは急速に冷たい空気に変わってきた。

早く洞窟の中を見に行かなくちゃ。

岩山を降りると、自転車を置いた近くに大きな水たまりがあることに気づいた。
水たまりがあると、景色が反射していい感じの写真が簡単に撮れるので試してみると・・・。

おおお、まさに水たまりマジック!!

でも、普通に撮ったらこんな感じ。笑

崩落個所に向かう山肌も一応見に行ってみた。
こちらからも行けないことは無いけど、落石も多そうだしかなり危険。
ずり落ちたら大けがだけじゃ済まなそう。
再訪時は、やはり現道のトンネル北口から入っていくのが良さそうだ。

と言うことで、今来た道を戻り始める。

行きにはスルーしたトイレの廃墟に寄ってみる。

道路からは、建物が撤去されているように見えていたが、実は階段があり、道路横の崖にへばりつくように建てられていたのだ。

トイレの窓からは、見事な景色が広がっていた。
道路現役時はちょっとした駐車スペースになっており、トイレ休憩が出来たのだろう。

夕陽に照らされるロックシェッドがたまらなく美しい。

このロックシェッドを抜けたら、本来の玉川観音が存在した洞窟だ。

道路脇から洞窟方面へと草木をかき分け進んでいく。

洞窟入り口には受付!?のような建物が建てられている。
それでは早速、洞窟内へ・・・。

と言っても、この洞窟は単なる海蝕洞で、奥に続いているわけでは無く、広い空間が存在するだけだった。

奥には玉川観音跡地の石碑が。
ここにあったものが、現在の玉川観音に移設されているのだろう。

霊的な何かを感じたわけではないが、無数の視線を感じたのでそそくさと洞窟を後にする。

洞窟を出ると、往時に見えていた階段が旧道の下の暗渠に続いているのが見えた。

近代的なコンクリートの暗渠だと思っていたのだが、中を見てびっくり。

石積みのかなり古そうな暗渠だった。
橋だと思っていた旧道も、実は橋では無くて、こういう地形だったようだ。
しかし、石積みの補修の跡が生々しいぞ。

暗渠を抜け振り返る。
なるほど、こういう構造なのね。

しかしきれいに積まれている。
上を通る、旧道の305号線が出来るずっと前からこの暗渠は存在していたのだと思う。

国道が作られるずっと前は、この場所が海沿いの道で、往来者はこの道から暗渠を抜け玉川観音にお参りしたのだろうか。

一人感傷に耽っていたが、時間も押してきたのでそそくさとこの場所を後にする。

再び暗渠を抜け旧道へと戻り始める。

良く見ると、補修した石積みに線が引いてある。
オリジナルのブロック単位が良く分かるようにとの、職人さんの配慮だろうか!?

階段を上がると、直進方向は洞窟、左手方向に進んでいくと旧道方向だ。

あとは、日没までのんびりと車まで戻ることにしよう。

この時間のロックシェッドは、神殿か何かのようだ。

施設があるために整備されているこの旧道だが、この辺りだけは路盤が荒れていた。
海までの高さが無いので、高波に洗われているのだろう。
路盤上にははっきりと自動車の轍が残っている。
今でも管理者の自動車が往来している証拠だ。

トンネル手前からロックシェッドの外に出られそうなので、ちょっと行ってみる。

見上げると、上部はものすごい崖。
いつ落石があっても不思議じゃない。

崖に埋め込まれたロックシェッドのアンカーもすごい。
これはかなりの難工事だったのだろう。

真っ暗なトンネルを潜りぬけ・・・。

誰もいないロックシェッドを進んでいく。

コンクリートの構造物があるあたりまで戻ってきた。

8月も終わりに近づいているが、まだまだ日が長い。

と言うことで、無事に現道との分岐まで戻ってきた。

横浜からはかなりの距離もあるけど、ここは、絶対にまた来よう。
北口側の旧道も歩いてみたいし、違う季節の景色も見てみたい。

現道の国道305号に復帰。
道端には怪しげな看板が・・・。

そして、前方の工事現場にふと視線を向けると・・・。

なんと、足場の中に穴のようなものが!!!
なんなの、これ!

これは、工事が終わったら絶対に見に来なければ。
ホントは今すぐ見に行きたいけど、車も止まってるし、人の気配も・・・。
まあ、あの大きさの穴を塞ぐには結構なお金もかかるし、塞がれることはないかな。

現道のこの越前岬隧道と並行してるように見えるし、もしかしたら旧トンネル!?
というか、こんなに新しいトンネルなのに、名称を越前岬隧道にしてるってことは、旧トンネル、絶対あるでしょ。

ということで、未解決を残すといういつものパターンでこのレポは終わってますが、再訪後に後続レポ書きます! ← 探索待ち
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