
山肌に沿って上り坂を歩いていくと、道路の脇に突然大きな壕口が。
めちゃめちゃ分かりやすい場所に開いている。

壕口付近に積まれている昭和のゴミの奥へと進んで行く。

その先の左手には盛大に水没した坑道が。
と言っても、構造を見る限り、貯水槽のような感じなので、水が溜まっているのが正常なのかもしれない。

この水没している坑道と並行しているもう一本も同様の構造で水没している。

でも、階段も作られているので、もしかしたらここも倉庫だったのかも・・・。

住宅街に隣接していることもあり、ほとんどの壕口は埋められているようだ。
なぜ、進入した壕口のみ開口していたのかは分からないが、何か理由があるのだろう。

こちらの坑道も盛大に水没。

斜面に沿って斜めに構築されているので、上方へは階段で接続している。

階段をのぼり、坑道の奥を見に行ってみるが、やはり埋め戻しが。

構造は面白い壕なのだが、埋め戻し箇所が多く、回れる範囲は少ない。

貯蔵壕だったという事もあり、坑道径はとても広い。
広いところだと、縦横共に 3m程度はありそうだ。

壕内に転がるドラム缶。
当時の物かは分からないが、中身はカラのようだ。

その先の土砂を見ると、そこにもドラム缶が。
これは埋め戻しの際に不要なゴミを一緒に放り込んだだけか。

別の坑道を進むと、今度はブロックのような石材がたくさん捨てられている。

上に隙間が開いていたので、ブロックを乗り越えて奥へと進んで行く。

こちらも埋め戻しなのだろうが、土砂に混じってたくさんの廃棄物が・・・。

更に奥へと進んで行くと、何となく掘りかけのような感じで終わっていた。

土砂を越え、今来た道を戻っていく。

埋め戻しの土砂や廃棄物が多い壕だが、岩盤は安定しており、崩落は少ない。

その後も行ける範囲で壕内を全て回っていく。

上の方は全て見て回ったので、階段を降り、まだ回っていない坑道に向かう。

こちらは多少水没はあるものの、比較的当時のままの姿で残っている様子。

でも、奥の方はやはり、埋め戻しされている。

一通り壕内を回ったので、今度は外に出て埋め戻された壕口を探してみることに。

しかし、新し目の擁壁に埋まってしまったのか、なかなか痕跡は見つからない。

唯一この壕口を見つけたのだが、この壕口は先ほどの壕と繋がっているのかは微妙な感じだった。

時間が多少余ったので、ここから船越の壕を見に行くことに。
車を移動させ、湾の前に車を停める。

そして、国道16号沿いにある景徳寺へ。

このお寺の山を登り切った所に、当時の監視所が残っているのだ。

お寺の敷地から山に分け入り、尾根を進んで行く。

尾根沿いには、海軍の標柱がいくつか残っている。

眼下には、横須賀の軍港が見下ろせる。

前回ここを訪れたのはもう 10年くらい前だと思うが、当時とは比べ物にならないくらい尾根は荒れている。
足を滑らせたら、かなりの落差を落ちてしまいそうだ。

やがて監視所跡が見えてきた。

監視所入り口付近は以前と同様だ。
同行したゴウ氏と yakumo氏は、既にこの下にある船越地下壕へと潜っている。
自分は、懐中電灯の電池が無くなりかけていたこともあり、ここで待つことに。

監視所の中へ。
内部には伐採した木々が積まれている。

奥にある、観測用の小部屋へと行ってみる。

コンクリートで固められた壁にはそれぞれの方向にスリットが。

当時は木々も伐採され、湾を見下ろすことが出来たのだろう。

久しぶりに船越の観測所を訪れたが、コンクリートの質も良く、非常に丁寧に作られている。

ここで潜っている二人を待つつもりだったのだが、時間的にやぶ蚊が物凄い。
とりあえず、お寺まで戻って待つことに。

再び、やせた尾根を歩いて戻り始める。

この階段も、そろそろ落ちてしまいそうだ。

その後は湾に戻り、しばし談笑して解散した。

久しぶりに訪れた横須賀地区だったが、また、この辺りの壕も回ってみたいと思う。
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