今回のメンバーは、いつもお馴染みの yakumo氏、ゴウ氏、地元民のあきひさ氏である。

現地を訪れると、なるほど法面に当時の物らしきコンクリートが残されている。
その中心には植木で隠れているが、重厚な鉄扉が。

家主には事前に訪問する旨の了を得ているので、ご挨拶をし早速遺構を見せてもらうことに。

ちなみに、この鉄扉のある壕口の右手には、奥行き数十メートルの防空壕のような小規模な壕があるという。

あきひさ氏が最奥部まで潜ったが、鉄扉のある壕とは接続していなかった。

鉄扉には、ヒンジも残されている。
ただ、鉄扉の前には近年の排水溝が作られており、庭の高さも一段盛ってあるため、扉がコンクリートに当たってしまう。
例えヒンジが稼働しても鉄扉を開けて内部に入ることは難しそうだ。

鉄扉の上部には通気口らしき穴が。
頑張ればあの穴から入れるような、入れないような…。

横に回ってみる。
もちろん隙間は一切ない。
結構分厚いコンクリートの壕口だ。
家主さんは、「船の塗料を貯蔵していたらしい」、と聞いているようだが、塗料の貯蔵庫にしては随分重厚な作りだ。
まあ、かなり切り立った崖に開いている壕口なので、頑丈に固める必要があったのかも知れないが。

扉からは入れそうもないので、はしごをかけ、通気口から内部をのぞき込んでみる。

遠目には、もしかしたら入れるかも!
と見えていたのだが、実際は両肩を入れることが出来ないため無理そうだ。
懐中電灯で奥を照らしてみる。

壕口付近はコンクリートで固められているようだ。

奥は素掘りとなっているが、崩落は少なそう。
壕口付近は水没も無いし、坑道は奥へと伸びている。
うーん、入りたいなあ。

壁面には碍子が残されている。
3つ並んでいるので、電灯用じゃなくて動力用!?
ここって、本当に塗料貯蔵庫だったのか!?
まあ、入れないのでこれ以上のことは分からない。
規模からして、ここ以外の壕口も見つかるかもしれないので、今後、周辺調査も進めていきたいと思っている。
家主さんも、頑張って内部を調べてね!と言っていたし。笑

鉄扉の向こう側が気になるが、いろいろ作戦を考えないと内部には入れなそうなので、周辺にある地下壕に潜りに行くことに。
この周辺には他にもたくさんの地下壕が構築されているのだ。
というわけで、1つ目は小さな祠の裏山にある地下壕へ。

壕口付近に廃棄された昭和のゴミの山を乗り越えて内部へと入る。

地下壕内部は地質のせいか、かなりガレている印象だ。
天井の中央に溝が掘られており、そこに木片が打ち付けられていた。
この凹み部分に電気を通していたのかもしれない。

突き当りの壁面に、何かを差し込むような四角い穴が見えている。
天井の窪みと、何か関係があるのかな!?

足元に古いラムネのビンが大量に落ちている。
飲み口の部分もガラスなので、相当古いものだろう。

底にはマークも付いていた。

この壕は残留物が多い。
と言っても、昭和のゴミがほとんどだ。
他の地下壕でも良く見る、陶器製のタンクもあった。

奥の方でワイワイ声がするので行ってみる。

すると、大量のガラスが投棄されていた。
ビンは口にねじ切りが無いので昭和の初めくらいのものだろうか。

金魚の形を模した小皿や、芳香美味、非買壜と書かれた試験管のようなガラス容器も大量に投棄されている。

奥へ進んでいくと、壁面に碍子が残されていた。
こんな荒れた壕だが、電気が引かれていたようだ。

通路には、解体作業で出たようなコンクリートの残骸も廃棄されており、歩きにくい。

足元に、また変なビンが落ちている。
首の部分に縦じまが入っているが、ビール瓶なのかな!?

小規模な壕と聞いていたが、たくさんの坑道が掘られており、見ごたえがある。

基本的には碁盤の目状に掘られているようだが、微妙に歪んでいるので位置が分かりにくい。

奥の方の天井にも、先ほどと同様の掘り込みが。

この壕は何の目的で掘られたのだろう。
倉庫にしては内部も狭いし、良く分からない壕だった。

という事で、この壕を出て、次の壕へ向かうことにした。 ← 執筆中
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