前回の訪問から実に12年ぶりだ。

という事で、雨が降りしきる中、現地へと到着。
海沿いを走る県道215号線の法面には、銃眼が海に向かって口を開けている。

銃眼部分からよじ登らなくても、すぐ先に開口部があるのでそこから進入する。
以前はお地蔵さんを乗り越えて入った気がするのだが、以前より入りやすくなっている。

海沿いに開口しているせいか、大量の砂が入り込んでいるようだ。

入ってすぐ入り口方向を振り返る。
今は前面の道路も舗装されかさ上げされていると思うが、この穴は当時はもっと高い位置にあったはずだ。
本来の出入り口は裏にあるので、この穴も攻撃に用いられていたのかもしれない。

とりあえずは奥へと進んでいく。

突き当りは左右に坑道が伸びている。
非常に丁寧に掘られている印象だ。

右手に折れて進むと、先には砲室が。
先ほど外から見えていた銃眼のある部屋だ。
この写真は坑道の最奥部より、入ってきた坑道の方角を向いて撮影している。

銃眼はコンクリートで構築されている。
しかも、かなりの大きさだ。

銃眼の先は三浦海岸側を狙っている。
先ほど入ってきた壕口とは向いている方角が違っている。

砲室を出て、付近の坑道を見に行ってみる。

小部屋がいくつもある区間となっているが、外部からの大量の砂の進入により、壕床がかなり上がってしまっている。

奥は、その砂溜まりにより塞がれそうだ。

海側の区間はかなり砂の浸食を受けているよだが、反対側に進むと壕床の砂はほとんど無くなった。
恐らく壕内にも決まった風の流れがあるのだろう。

地下へと続く階段があるので下ってみる。

岩盤の性質のせいか形は崩れているが、階段は丁寧に作られている。

奥にはまた分岐が見えている。

まずは右方向へ行ってみる。

奥は部屋になっていた。

坑道を戻り、この周辺をウロウロしてみる。

外から想像するとそれほど大きな壕には見えないのだが、作りも良いし階層構造だし、なかなか楽しめる壕だと思う。

昭和のゴミに紛れて、レンチなどの工具が落ちていた。
でも、形状からして、当時の物では無いだろうな。

奥へと進んで行くとだんだんとゴミが増えてきた。

最後は埋め戻しだろうか、塞がれて終了。

恐らくここがこの壕の本来の出入り口では無いだろうか。
道路側から入ってきたのでここは地下だと思っていたが、山の裏側辺りに貫通している。

洞窟陣地としては広めに掘られた坑道を戻っていく。

下側から眺める階段も良い感じだ。
当時はここから登り、階上の銃眼へと向かったのだろう。

一通りすべての坑道を回ったので、そろそろここを出ることに。

しかし外は横殴りの雨が降っている。

少し待ってみたが、雨はやみそうも無いので海岸にあるもう一つの銃眼を見に行くことにした。

こちらは高貫狙撃陣地と呼ばれている遺構だが、銃眼部分を残して後ろ側は開発により失われている。
よって、内部の構造を知ることは出来ない。

頭を入れるだけでも大変な銃眼からカメラを突っ込んで内部を撮影してみる。

砲室はかなり広いようだ。
たくさんのゴミが詰め込まれているのも見える。

今までここから出入りした人はいないと思うが、なんと同行したあきひさ氏が、入れそう!?と体をねじ込む。
え!?大丈夫!?
出られなくなったりしない!?

あきひさ氏はそのまま体を捻じりながら、内部へとするりと入り込んでしまった。
それを見て、もしかしたら自分も行けるかも!!
と思って真似して頭を突っ込んでみるが、肩のあたりが既に通り抜けられる状態ではない。
ま、例え無理矢理入り込むことが出来たとしても、内部に向かってテーパー構造となっているので、入れるけど出られないという事にもなりかねない。

ちなみに、内部から続く坑道は完全に埋め戻されており、砲室からどこかへ行けるわけでは無かった。
銃眼から海方面を眺めると、この銃眼も三浦海岸方面を狙っている。
海蝕洞を改造して作られているようだが、こちらもそれなりの規模があったのではないかと思う。

三浦半島には数多くの遺構が遺されているが、前回の訪問はほとんどが10年以上昔なので、今後もそれらの遺構へと再訪してみたいと思っている。
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