この地下壕は、第1工区、第2工区、第3工区と分かれており、全長 1600mを超える巨大な地下空間を構築している。
全国戦争遺跡調査研究会の壕内図によると、それぞれの壕の配置はこのようになっている。
今回の調査では、一番大きな第2工区をくまなく回って来たのだが、この 3つの工区以外にも貝山にはいくつかの壕が掘られている。
ネット上にはあまり情報が出ていないようなので、先にこちらの壕のレポートを行うことにした。

今回は yakumoさんとの合同調査である。
早速山肌に沿って進んで行く。
位置的には第3工区と第2工区の中間辺りの上部だと思われる。

かつては軍道が作られていたのだろうが、かなりの草木に侵食され進むのに難儀する。
しかも、すぐ下は切り立った斜面となっており、足を滑らすと7~8m下までの転落は免れない。

しばらく進むと壕口がぽっかりと口を開けていた。
内側から撮った写真であるが、きれいな正方形に構築されているのが特徴的だ。

侵入者はほとんどいないせいか、壕内は非常にきれいだ。
洞床も非常に硬く乾いているため、踏み跡が残らず、他の人が来ているかは分からなかった。

四角く掘られた特徴的な坑道を左にカーブしながら進んで行くと、左手に棲息部があった。
奥の壁に何やら彫り込みがある。

『カイカウヨ』、いや、『カイカウコ』だろうか。
謎である。
追記
アジア歴史資料センターにあった当時の資料により、この壕が航海科の壕である事が判明しました。

そのすぐ先にある坑道は、両側に縦横 50cm程の四角い窪みがいくつも彫り込まれていた。
前方にも四角い窪みがある。
こんなの初めて見た!!

かなり丁寧に、かつ角張って彫り込まれている。

突き当たりを右に折れると、前方に日本地図?
と思ったら、ただの壁面の模様だった。
ここにも両側に四角い窪みが彫り込まれている。

その先にも堀りかけの枝坑があった。
足下にはペンキの缶のような物が置いてあったが、朽ち果て方から見て、かなり昔の物であろう。

もうひとつある開口部から外に出て斜面をちょっと進んでみると…。

当時の物と思われる遺構を発見。
その下の斜面には、大量の海軍食器が散乱していた。

この奥にも更に開口部があるようだが、薮が激しく危険なため今回は断念。
薮が枯れてきた時期に再調査に来ることにした。

名称は分からないが、貝山地下壕上部にある壕の概略図である。
規模は小さいが、四角い坑道や、内部の彫り込みが特徴的な壕であった。
砲台からは離れているので、砲台関連の壕では無いと思われる。
この壕の上部付近にはコンクリート塊があったりするので、その施設に関係する壕では無いか?
何か情報をお持ちの方は、是非教えて下さい!!
- 関連記事
-
-
[戦跡] 千葉県館山市加賀名にある地下壕に潜ってみた 2017/09/04
-
[廃道] 国道411号-かたなばトンネルの旧道区間を見に行ってみた 2020/08/20
-
[戦跡] 浦賀にある潜水具がある壕に潜ってきた 2021/12/10
-
[戦跡] 三浦半島の地下壕をいろいろと回ってきた~後編 2018/01/15
-
滋賀県竜王町の隊道跡を見に行ってみた 2015/02/03
-
滋賀県にある土倉鉱山跡を見に行ってみた 2022/04/28
-
[廃道] 群馬県にある立岩隧道に行ってみた 2018/10/12
-