
付近に車を停め、yakumo氏と共に森の中へ入っていく。

少し進むと、その遺構はすぐに現れた。
壕の入り口には、ラミネート加工された案内板が設置されている。

保存会有志によるものだろうか。
丁寧な説明書きが。

まずは、掩蔽部上部を見に行ってみる。
登りやすいように梯子が置かれている。

コンクリート製の掩蔽部の上部は、降り積もった笹の葉で埋め尽くされていた。
足元には穴が開いている。

穴の中を照らしてみる。
掩蔽部の中は光が届かず真っ暗だ。

奥に向かって歩を進めていく。
足元には一定の間隔で穴が開いているようだ。

掩蔽部上部の端に来たようだ。
周囲は荒れ果てており、尖った笹が乱立している。
これ以上向こうへは行きようがないので、とりあえずは引き返す事に。

上部から降り、今度は掩蔽部の内部へと入っていく。

内部は掘り下げてあり、外から想像するよりもずっと広い空間が広がっていた。

壁面には高圧碍子が遺されている。

そして奥のコンクリートの上には、機械の基礎が遺されていた。

機械台座の上部には、先ほど上部から覗いていた穴が見えている。
という事は、あの穴はここに設置されていた機械の排気口なのかな。

奥には更に部屋のような物が見えている。

外部の土砂が流入しているが、まだ奥へと進めそうだ。

それにしても、この穴はなんだ!?
電気配線を通していたのかな?

その奥はまた部屋になっており、それ以上奥は無いようだ。
上部には先ほどの穴より大きい穴が設置されており、そこから落ちてきた土砂が床に積もっている。

一通り内部を見て回ったので、そろそろ外に出る事に。
住宅地のすぐ脇にこんな遺構が遺されているのもびっくりだが、コンクリート製の掩蔽部の規模もなかなかのものだった。

yakumo氏が基礎のボルトの写真を撮っている。
きれいにボルトが遺されているし、まだまだ基礎として機能しそうな感じだ。

ちなみに、入り口付近はコンクリートが破壊されている。
本来の入り口が土砂で埋もれていたので、入り口上部を壊して拡張しているような感じだ。
土砂を掘ったほうが、コンクリートを壊すよりも簡単の気もするが、どうなんだろ・・・。

夕刻からの探索だったため、空は既に暗くなってきている。

送信所遺構を後にし、今度は近くにある海軍橋を見に行ってみる。

太平洋戦争が始まるよりも前に豊橋海軍航空隊の基地として作られた人工島へつながる橋の痕跡を見に来たのだ。

と言っても、道路は拡張され、当時あった人工島の周りも大規模に埋め立てられてしまい、当時の面影は残っていないようだ。

国土交通省のサイトにある当時の航空写真には、はっきりとその橋の姿が写っている。

当時の人工島の入り口には、現在トピー工業の豊橋工場がある。
その手前に、当時の橋の遺構が遺されていた。
欄干と言うよりは、駒留に近い感じだが、間違いなく当時の物だろう。

反対側の欄干は破壊され、鉄製の柵に置き換えられていた。
壊された欄干はそのまま付近に置き去りにされていた。
という事で、ちょっと遠征して豊橋海軍航空隊の遺構を見て回ったが、渥美半島には他にも多くの遺構があるようなので、引き続きいろいろと紹介していこうと思う。
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