ここには大正時代に作られた砲台の痕跡が残っている。

城ヶ島公園の駐車場中央にそれはあった。
花壇へと姿を変えてしまっているが、おそらくここに砲台が据え付けてあったのだろう。
当時は空から秘匿するために、屋根も設けられていたそうだ。
そして、この駐車場の地下には、地下施設が残されているという!

駐車場の奥へと足を進め、薮の中へと足を進める。

しばらく進むと、掘り割りの奥に掩蔽部の入り口が見えてきた。

旧日本軍によって迷彩柄に塗色された掩蔽部入り口部分。
褪色している物の、当時の様子を窺い知ることが出来る。

中をのぞき込んでみると、地下施設があることが分かる。

早速侵入していくと、50m程度の長い通路が続いている。
おそらく先ほどの砲台跡近くまで続いているのだろう。

また、掩蔽部入り口付近には、弾薬庫と見られる部屋が設けられていた。

同じ作りの弾薬庫が3つ並んで作られている。

弾薬庫の奥から、通路方面をふり返ってみる。
通路への出入り口の他に、弾薬庫どうしを結ぶ小さな通路が見えている。

再び長い通路へと戻り、通路の奥へと進んでいく。

通路の途中、天井部分に山中に抜けている通気口があった。
通気口は通路の途中に3つ設けられていた。

ちなみに、これが山中に突き出た通気口上部の様子。
直径 30cm程度の小さい穴のため、転落の心配は無いと思うが、なぜかゴミ箱がかぶせられている。

通路でふり返ってみるが、入り口部分からの光は全く入ってこない。
壕床には、どこから来たのか分からない瓦礫が敷き詰められている。
わざわざ運び込んだとは思えないが、内部にあった物とも考えられない。
謎である。

通路の先端部分には、弾薬を砲台に上げるエレベーターが設置されていたようだ。

エレベーターの設置部分に入ってみる。
落書きが多く、多くの訪問者がいることが伺える。

エレベーター部分の上部を見上げると、上層部分にも穴が続いているように見える。
弾薬をあそこで降ろしていたのだろうから、部屋なり施設なりあるのは当然であるが、高さが 5~6mあるため、上部の状況を窺い知ることは出来ない。
しかし、上部がどうなっているのかが気になる!!!
そこで後日、秘密兵器(ってほどじゃ無いケド…)を持参して、上層部を撮影してみた。
次回、上層部の様子 へと続きます!!
再訪もしてます
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